主の働きに用いられることの喜び
「あなたがたの手で食べ物をあげなさい。」(マタイ14:16)
小さい頃、父はよく日曜大工をしていました。棚を取り付けたり、ちょっとした本棚を作ったり。とても器用でした。そうした父の作業を見ることが大好きでした。何十分でも見ていて飽きないのです。そして、時々、父は私にノコギリで板を切らせ、釘を打たせてくれました。懐かしい子どもの頃の思い出です。 時々、幼稚園の子どもたちはおままごとをしています。お母さんになり切って料理を作ります。おままごとで遊ぶ子どもたちが、家の台所でニンジンを切ったり、ご飯をよそったり、お母さんがすることを実際に任せてもらえたら、本当に嬉しい体験となることだと思います。 私の父にしても、また母にしても、自分がやってしまった方がはやく、しかも綺麗に出来ることでも、実際、子どもにさせることで、彼らは物を造ることを喜び、料理することの喜びを経験することが出来ます。親にとっては面倒なことでしょう。時間もかかり、出来映えもよくないかもしれません。それでも敢えてノコギリを引かせ、包丁を持たせるのです。 主の弟子として奉仕すること、主の弟子として証しすることも、同じでしょう。 主イエスの宣教の働き、人々の問題が解決し、必要を満たす愛の働きは、本来、主イエスの御業です。ひとりの人が回心する時、天では大きな喜びがある、と主イエスが言われる程の喜びの働きに、私たちが参与するように招かれています。 上手にできないかもしれませんが、しかし、主イエスから託された働きが尊く意味ある働きであり、何よりも、神さまの喜びに与ることのできる働きであることを知らされていく時に、私たちの心は次第に、そうした主の働きにこれからも用いていただきたいという思いへと導かれて行くことだと思います。 今、あなたは何をもって主にお仕えしていますか?
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘
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