キリスト者の自由
「この自由を得させるために、キリストは私たちを解放してくださいました。ですから、しっかりと立って、二度と奴隷の軛につながれてはなりません。」(ガラテヤ5:1)
1520年の秋、ルターはわずか一週間で『キリスト者の自由』を書き上げたと言われます。いわば宗教改革の闘いの生々しい息吹を感じさせる証言の書です。その冒頭に2つの大変有名な命題が出て来ます。 「キリスト者はすべてのものの上に立つ自由な君主であって、何人にも従属しない。」 「キリスト者はすべてのものに奉仕する僕であって、何人にも従属する。」 ルターは、この二つの命題でクリスチャンの信仰姿勢を表現しました。一見この2つは矛盾しているようにみえます。でも自由と奉仕との、この逆説的な結びつきが、実は、聖書の教えるクリスチャンとしての生き方をよく示していると思うのです。 神さまを知らなかったとき、そのお方を悲しませるような生き方を平気でしていたように思います。神さまの御心が示されている聖書の言葉を知らずに、世間の価値基準に従って生きていましたし、「それでいい」と思っていました。 高度成長期に教育を受けた私の世代の多くの者たちは、全てが競争だと教えられ、成果を上げることで周囲から認めてもらえる。それが「救い」でした。当然、究極の価値である神さま抜きの世界に生きているわけですから、当然「世間様というカミ」によって「義と認められ、救われる」。そうした成果主義という律法主義の重圧により、私たちの心はどれだけ奴隷のように苦しい歩みをしてきたかと思います。 でもイエスさまの十字架によって、神という究極的な審判者の御前に義と認められるのは、私たちが成し遂げた何かによるのではなく、一方的な恵みによるのだと知り、初めて「世間様というカミ」から解放されました。この喜びのなかに今日も生かされているのです。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘
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