イエスさまの日課

「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。」(マルコ1:35)
 祈りとは神さまの御心に触れる手段です。 生まれる前、誰もが母親の胎内にいました。そこで私たちは、母親の平安、愛、喜び、願いや欲求、感動や興奮、また時として怒りや恐れといった諸々の感情を、母親の心臓の鼓動を通して全身で感じ取り、吸収しました。 そして、その計り知れない影響力が、私たちの人生の最も初期の段階から深く私たちを形成していくと言われています。それと同じように、私たちは自分に対する神さまの願いを敏感に感じ取り、それが私たちを形造っていきます。 祈りは、この母親と胎児の鼓動の共有のようなものだとある牧師が語っていました。 イエスさまは、日々、祈りを生活の中心に置き、それこそ母の胎にいる子どものように、父なる神さまの懐に抱かれるようにして、神さまの鼓動、神さまの心に触れて、一日をスタートすることができました。これこそが、私たちにとっても大いに必要なものです。 そして聖書は、イエスさまと祈りの関係について、もう一つ大切なことを教えています。それは、何か大きな問題に直面した時、重大な決断を下さなければならない時に、必ずと言ってよいほど、イエスさまは祈り、父なる神の御心を求めていたということです。 ある時、イエスさまは、荒野において悪魔の誘惑に遭われました。 この世の仕方で問題に立ち向かうように、そのようにして成功を手に入れるようにと誘惑するサタンに対して、主は父なる神さまに祈り、御心を求めたわけです。また、イエスさまのお働きにとって重大な課題であった「十二弟子の選び」の時も、聖書を読むと徹夜の祈りを捧げられたことが分かるのです。十字架の前夜もそうでした。このようなことがイエスさまの日課だったのです。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘
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