恵みという広い世界を見よう

「誰が私たちに肉を食べさせてくれるのだろうか。エジプトにいた頃、ただで食べていた魚が忘れられない。きゅうりもすいかも、葱も玉葱もにんにくも。今では、私たちの魂は干上がり、私たちの目に入るのは、このマナのほかは何もない。」 (民数記11章4-6節)
 一点にばかり集中していると、広い世界が見えない。 小学生の男の子ジョンは、家で誕生日パーティをひらきました。友だちや両親が見つめる中で、ジョンは贈られたプレゼントを開けていました。贈り物をした友だちは、包みを開けるジョンがどんな反応をしてくれるかと期待しながら見ています。ジョンには欲しいものが一つありました。しかし、それが出てきません。ジョンはどのプレゼントにも関心を示さず、箱を開けると次から次へと無表情で横に置いていくばかりです。両親も困ってしまいました。ジョンは自分が欲しい一つの贈り物のことしか考えられなかったのです。実はジョンが欲しかったものは、特に高価なものではなかったのです。そんなジョンの様子を見て、みんなの心に残念な思いが残ってしまいました。  私たちが神さまに何かを求める時、「私に必ず〇〇を与えてください」と、一点に集中すればするほど、神さまが与えてくださっている山のような恵みを見失います。しかも、私たちが想像する以上の素晴らしい恵みを受けていても、それを見過ごしてしまいます。  荒れ野を旅していたイスラエルの民は、毎日与えられるマナという食べ物に飽きてしまいました。エジプトでは奴隷であり、自由に腹一杯食べることなどなかったのに、今、与えられているマナという食べ物一点に不満を言い始めたのです。「あの頃の方がマシだった」と肉や魚など、ありもしなかった事を言い始めたのです。 私たちは欲を持っています。欲張りでがめつい性質をもっています。また、自分を高める知識欲や目的達成欲もあります。欲がすべて悪いというものでありません。しかし、神の恵みは、私たちが想像する以上に広く、深く、素晴らしいことを聖書は教えています。 主は「私の恵みはあなたに十分である」と言われました。(2コリント12:9)
《祈り》「神の恵みは驚くばかりです。恵みは私の恐れを消し、危険も罠も避けてくださるのは、恵みの御業というほかありません。天国に着く朝、いよいよ高く、恵みの神さまを称えるでしょう。」(「アメージンググレース」ジョン・ニュートン)
牧師 和田一郎
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