父にしっかり掴まる

「だから、こう祈りなさい。『天におられる私たちの父よ・・・』」 (マタイによる福音書6章9節)
 父は言った「しっかり掴まっていなさい」と。 子どもの頃、父とよく海に泳ぎに行った。親戚がいる横須賀・野比の海岸でのことだった。海岸線の先にある発電所の煙突を見ながら波打ち際で遊んでいた。父が「沖まで泳ごう、しっかり掴まっていなさい」と言うので、父の背中にしがみついて沖に向かって泳いでいく。振り返ると砂浜がどんどん遠くになっていく、海の水が冷たくなってくると少し怖くなってきて、父にしがみ付く手に力が入った。「もう戻ろうよ・・・」と言ったので、父は砂浜に向きを変えてもどってくれた。父のことを強く大きく感じた。 イエスさまは、神を「天におられる父」と呼ばれました。その「父」は男性であることを意味するのではなくて、「父性」を意味しています。神は人類を「神のかたちとして・・・男と女に創造」される以前から存在された方ですから、神の父性とは、人間の男女や「父」を超越して強く、大きく、優しく、愛に満ちたものです。それらの性質を備えた存在が家族的な関係である神さまです。 私の子どもの頃の父との思い出は、神の父性を感じた経験です。神さまは完全に頼れる存在です。完全に信頼できるお方なのです。自分は弱くて、心細い思いをする時でも、しがみついて頼っていい方です。 イエスさまは「天におられる」と呼びかけましたが、「天」とは遠く離れたところではありません。イエスさまが洗礼を受けられた時に「天がひらけた」と記されているように、「天」はすべてのものを取り巻く大気であり、空気を指す言葉なのです。ですから「天におられる」とは、神はここにおられ、臨在してくださっているということなのです。その神さまに信頼して、しっかりと掴まっていきましょう。
《祈り》主よ、私が苦しみの中にいる時、あなたのことが見えませんでした。しかし、あなたは答えてくださいました。「私はあなたをおぶって、ここにいる。あなたは何も恐れなくてよい、私がともにいるから」と。共にいてくださる神さま、ありがとうございます。
牧師 和田一郎
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