本来の色がいい

「また、祈るときは、偽善者のようであってはならない。彼らは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈ることを好む。」 (マタイによる福音書6章5節)
 見た目にキレイな野菜が、美味しい野菜とは限らない。 たとえばピーマンは色が濃くて大きい方が美味しそうに見えます。でも実はそうでもなくて、野菜には本来の大きさがあり、本来の色があるそうです。野菜の色というのはそんなに濃い色ではなくて、道ばたに生えている雑草の色あいが良いそうです。はっきりとした緑ではなくてちょっと薄い色が、植物本来の緑色なのだそうです。品種改良などによって濃くなった品種もあるそうですが、肥料を与え過ぎた濃い緑の野菜はえぐみや苦味がでるのです。  祈りという行為も同じだと思いました。祈りとは神さまとの会話です。祈る時には、自分本来の在りのままをさらけ出して、率直に向き合うことが大切だからです。そこに権威や知識といったものが心のどこかに置かれると、自分の本来の色ではなくなってしまうのです。イエスさまは「偽善者のようであってはならない」と言って忠告しているとおり、権威ある知性的なエリートであった律法学者やファリサイ派と呼ばれる人たちは、当時、祈ることが立派で信仰深い行為と見られていたので、会堂や大通りの角に立って目立つところで祈っていたのです。彼らの知的権威やエリート主義は、本来の祈りの姿である、自分自身を在りのままにさらけ出して祈るというものから、かけ離れたものになっていました。祈る時には、素直に心を開いて、神さまの御心を意識しなさいと、イエスさまは教えてくださっているのです。偽善者のようにではなく、本来の自分の姿で祈りをすることを神さまは喜んでくださるのです。
《祈り》主よ、あなたは、この私が祈る前から私に必要なものをご存じです。ですから模範解答のような祈りでは、あなたは虚しく思われるでしょう。祈るときには、あなたを信頼してすべてをさらけ出します。そこに主よ、あなたの声をお聞かせください。
牧師 和田一郎
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