手放さないと掴めない

「あなたのパンを水面に投げよ。月日が過ぎれば、それを見いだすからである。」 (コヘレトの言葉11章1節)
 パンは生きていくために大切なものです。しかし、そのパンを自分だけのために抱え込んでいると新しいパンを掴むことができません。パンを何かのために手放すと、月日が経ってまた、その時必要なパンが与えらえるというのが神さまの恵みです。キリスト教の教えでは「手放す」ことを大切にしています。 今、あなたの心の中心には何があるでしょうか?自分が大切にしているものが心の中心にあると思います。「私はイエス・キリストを信じています」という人は、心の中にキリストが生きています。クリスチャンとは、イエスさまを心の中にお迎えした人たちのことだからです。しかし、イエスさまを心の中にお迎えしていることと、心の中心にイエスさまがいることとは別です。イエスさまを信じているにもかかわらず、心の中心には自分自身が居座っていることがよくあるからです。それを「自己中心」と言います。そしてこの「自己中心」こそが、私たちの取り組むべき罪の問題の本質で、自分というものを「手放す」ことが大切なのです。 イエスさまは十字架に架けられ、この世から手放された方です。「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」(マルコ15:34)、手放されたところに、新しい復活の命が生まれたのです。私たちは、つい「手放したくない」という思いから、持ちすぎて両手がふさがって、新しい恵みをキャッチできないことがあります。何かを得て豊かになることは悪いことではないけれど、一旦パンを水面に手放さなければ新しい恵みを受け取ることはできないのです。
《祈り》神さま、私はコツコツと積み重ねてきたものを手放したくありません。獲得してきたものは私の誇りです。しかし主よ、そのすべては、あなたから与えられた預かりものに過ぎないのですね。あなたを信頼して手放した時、私は自由になれました。
牧師 和田一郎
ご感想は下まで(スマホ・パソコンの方向けです) forms.gle/EkE9N8gDaJQ7ee2L9
発行者名 高座教会 www.koza-church.jp/