【奉仕について】(信仰の基本シリーズ7信仰生活③)
全7シリーズ 各3回 月曜-水曜
「キリストによって、体(からだ)全体は、支えとなるすべての節々でつなぎ合わされ、一つに結び合わされて、それぞれの部分は分に応じて働いて、体を成長させ、愛の内に造り上げられてゆくのです。」 (エフェソの信徒への手紙4章16節)
教会には、讃美のオルガン奏者や礼拝の司会や献金当番、それに掃除、食事会の準備などの「奉仕」があります。聖書に教会は「キリストのからだ」であり、私たちはその部分であると教えられていますから、からだ全体の働きのためには、各部分のはたらきが必要なように、教会が運営されていくためには、信徒一人一人の賜物を活かした奉仕が必要です。聖書には「奉仕」という言葉が多く書かれています。 たとえば旧約聖書では神殿礼拝の祭儀的な働きについて、新約聖書では、まだ教会のない宣教の地での働きや、「祈りと御言葉を語ること」(使徒6:4)、生活の「欠乏を補う」(2コリント9:12)ことなどにおいても「奉仕」という言葉が用いられています。神さまが与えてくださった賜物は多種多様であり、それらを生かす奉仕の場もさまざまです。自分の持ち味をよく考えて、祈りとともに自分にあった奉仕が見いだされ、喜びと感謝をもって奉仕したいものです。 一方で、人間関係に気を取られたり、人の目を気にしすぎて、どの方向に向かっている奉仕なのか分からなくなることがあります。自己実現のための奉仕になって、いつの間にか神の働きとは違う方向にならないように気をつけなければなりません。 また、奉仕者への配慮も必要です。一部の奉仕者にストレスがかかって毎週ヘトヘトに疲れてしまう状態が続いては健全であるとはいえないでしょう。教会の奉仕は、目的ために最短距離で達成することが良いのではありません。そこに至るまでに、携わる人の賜物と意見が反映されて、遠回りになっても、無駄な時間を要しても、失敗してもその奉仕のプロセスにおいて、隣人愛、寛容、励まし、尊重という「キリストに仕える者」としての在り方が問われるのです。 ある神学者が「奉仕は一人で成功するより、二人で失敗した方が教会的だ」と語りました。その真意は、奉仕する働きを通して神の栄光を現わすことに奉仕の目的があるということなのです。
《祈り》主よ、私は周りの人たちと協力し合って働くことが苦手です。それでも一人で祈ることはできます。その祈りにも集中できないことがありますが、至らないことだらけのこの奉仕が神さまに用いられるのでしたら感謝です。どうぞ用いてください。
牧師 和田一郎
ご感想は下まで(スマホ・パソコンの方向けです) forms.gle/EkE9N8gDaJQ7ee2L9
発行者名 高座教会 www.koza-church.jp/
「キリストによって、体(からだ)全体は、支えとなるすべての節々でつなぎ合わされ、一つに結び合わされて、それぞれの部分は分に応じて働いて、体を成長させ、愛の内に造り上げられてゆくのです。」 (エフェソの信徒への手紙4章16節)
教会には、讃美のオルガン奏者や礼拝の司会や献金当番、それに掃除、食事会の準備などの「奉仕」があります。聖書に教会は「キリストのからだ」であり、私たちはその部分であると教えられていますから、からだ全体の働きのためには、各部分のはたらきが必要なように、教会が運営されていくためには、信徒一人一人の賜物を活かした奉仕が必要です。聖書には「奉仕」という言葉が多く書かれています。 たとえば旧約聖書では神殿礼拝の祭儀的な働きについて、新約聖書では、まだ教会のない宣教の地での働きや、「祈りと御言葉を語ること」(使徒6:4)、生活の「欠乏を補う」(2コリント9:12)ことなどにおいても「奉仕」という言葉が用いられています。神さまが与えてくださった賜物は多種多様であり、それらを生かす奉仕の場もさまざまです。自分の持ち味をよく考えて、祈りとともに自分にあった奉仕が見いだされ、喜びと感謝をもって奉仕したいものです。 一方で、人間関係に気を取られたり、人の目を気にしすぎて、どの方向に向かっている奉仕なのか分からなくなることがあります。自己実現のための奉仕になって、いつの間にか神の働きとは違う方向にならないように気をつけなければなりません。 また、奉仕者への配慮も必要です。一部の奉仕者にストレスがかかって毎週ヘトヘトに疲れてしまう状態が続いては健全であるとはいえないでしょう。教会の奉仕は、目的ために最短距離で達成することが良いのではありません。そこに至るまでに、携わる人の賜物と意見が反映されて、遠回りになっても、無駄な時間を要しても、失敗してもその奉仕のプロセスにおいて、隣人愛、寛容、励まし、尊重という「キリストに仕える者」としての在り方が問われるのです。 ある神学者が「奉仕は一人で成功するより、二人で失敗した方が教会的だ」と語りました。その真意は、奉仕する働きを通して神の栄光を現わすことに奉仕の目的があるということなのです。
《祈り》主よ、私は周りの人たちと協力し合って働くことが苦手です。それでも一人で祈ることはできます。その祈りにも集中できないことがありますが、至らないことだらけのこの奉仕が神さまに用いられるのでしたら感謝です。どうぞ用いてください。
牧師 和田一郎
ご感想は下まで(スマホ・パソコンの方向けです) forms.gle/EkE9N8gDaJQ7ee2L9
発行者名 高座教会 www.koza-church.jp/