【カンバーランド長老教会の歴史(日本)について】(信仰の基本シリーズ8)
全7シリーズ 各3回 月曜-水曜
「主なる神は、弟子としての舌を私に与えた 疲れた者を言葉で励ますすべを学べるように。主は朝ごとに私を呼び覚まし 私の耳を呼び覚まし 弟子として聞くようにしてくださる。」 (イザヤ書50章4節)
その宣教師は、毎朝五時に起きて祈りと黙想と冷水浴をして珈琲を飲み、朝食まで聖書の学びをするという日課を守っていました。そのように生きた証しを娘がイザヤ書から書き残したのが今日の聖句です。宣教師の名はアレクサンダー・ヘール(A.Dヘール)。 米国のカンバーランド長老教会に、宣教師を支えることを目的として海外女性宣教局が設立されました。この働きの中からヘール兄弟(兄A.Dヘール、弟J.Bヘール)が宣教師として日本に派遣されます。1878年(明治11)年、サンフランシスコから船で横浜に上陸、その後大阪、和歌山、三重などにおいて伝道を開始しました。 彼らは宣教地に骨を埋める覚悟で、すぐに墓地を購入し一時も帰国しませんでした。移動は船、人力車、徒歩で、その町の家を講義所として開放し聖書を教えていきます。自分の私財をなげうって宣教に捧げていきました。信徒から資金が足りないと聞くと「自分たちのポケットから」と言い、それでも足りなければ「ポケットにもっと深く手をつっこんでもう少し出します」と答えたそうです。 「15マイル20マイルを歩き続けたあとで、喜んで福音を聞こうと待ち受けている人々に接することほど、私を元気づけてくれるものはない」と語りました。それらの人々の多くは、上流階級や知識階級ではなく田舎の庶民でした。「宣教師にとって、このような素朴な心の田舎人たちに神の愛を語る事にまさる喜びはあろうか」と。その生涯を日本の地方伝道に捧げ、教会が設立され現在に至っています。 (新宮教会、田辺教会、四日市教会など現在は日本基督教団。1884年 大阪女学院設立) A.Dヘールの長男の妻ハリエットは夫を亡くした後も日本に留まり、戦中の1942年に召天します。その4年後1946年に米軍厚木基地にいたカンバーランドのチャプレンの伝道によって神奈川県大和市の家でクリスマスが祝われ、それが高座教会のはじまりでした。カンバーランドの日本宣教はこのように明治初期から受け継がれてきたのです。
《祈り》主よ、私たちの日々の信仰生活は、遥か遠くから聖書を携えてこの地に降り、この国の町から町へと伝えた人々による実りです。私たちの信仰には、先人たちの祈りがあることを覚えさせてください。
牧師 和田一郎
ご感想は下まで(スマホ・パソコンの方向けです) forms.gle/EkE9N8gDaJQ7ee2L9
発行者名 高座教会 www.koza-church.jp/
「主なる神は、弟子としての舌を私に与えた 疲れた者を言葉で励ますすべを学べるように。主は朝ごとに私を呼び覚まし 私の耳を呼び覚まし 弟子として聞くようにしてくださる。」 (イザヤ書50章4節)
その宣教師は、毎朝五時に起きて祈りと黙想と冷水浴をして珈琲を飲み、朝食まで聖書の学びをするという日課を守っていました。そのように生きた証しを娘がイザヤ書から書き残したのが今日の聖句です。宣教師の名はアレクサンダー・ヘール(A.Dヘール)。 米国のカンバーランド長老教会に、宣教師を支えることを目的として海外女性宣教局が設立されました。この働きの中からヘール兄弟(兄A.Dヘール、弟J.Bヘール)が宣教師として日本に派遣されます。1878年(明治11)年、サンフランシスコから船で横浜に上陸、その後大阪、和歌山、三重などにおいて伝道を開始しました。 彼らは宣教地に骨を埋める覚悟で、すぐに墓地を購入し一時も帰国しませんでした。移動は船、人力車、徒歩で、その町の家を講義所として開放し聖書を教えていきます。自分の私財をなげうって宣教に捧げていきました。信徒から資金が足りないと聞くと「自分たちのポケットから」と言い、それでも足りなければ「ポケットにもっと深く手をつっこんでもう少し出します」と答えたそうです。 「15マイル20マイルを歩き続けたあとで、喜んで福音を聞こうと待ち受けている人々に接することほど、私を元気づけてくれるものはない」と語りました。それらの人々の多くは、上流階級や知識階級ではなく田舎の庶民でした。「宣教師にとって、このような素朴な心の田舎人たちに神の愛を語る事にまさる喜びはあろうか」と。その生涯を日本の地方伝道に捧げ、教会が設立され現在に至っています。 (新宮教会、田辺教会、四日市教会など現在は日本基督教団。1884年 大阪女学院設立) A.Dヘールの長男の妻ハリエットは夫を亡くした後も日本に留まり、戦中の1942年に召天します。その4年後1946年に米軍厚木基地にいたカンバーランドのチャプレンの伝道によって神奈川県大和市の家でクリスマスが祝われ、それが高座教会のはじまりでした。カンバーランドの日本宣教はこのように明治初期から受け継がれてきたのです。
《祈り》主よ、私たちの日々の信仰生活は、遥か遠くから聖書を携えてこの地に降り、この国の町から町へと伝えた人々による実りです。私たちの信仰には、先人たちの祈りがあることを覚えさせてください。
牧師 和田一郎
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