母の日
「苦しみに遭ったのは私には良いことでした。あなたの掟を学ぶためでした。」 (詩編119編71節)
「結婚以来一番幸せな年です」と母はいった。 今年の「母の日」は5月11日の日曜日です。35年前の母の日、私が闘病中の母の入院先にカーネーションを贈ったら心から喜んでくれた。その思い出があったので、牧師になる前は「母の日」の日曜に墓参りをするようにしていました。天に召される一年前、入院を前にして「幸せな春」と書き残した母の手記があります。 「今年は家族のきずなの尊さをありがたくしっかり知らされて、結婚以来一番幸せな年です。また今迄にない大きな試練の与えられた年でもあります。神様をないがしろにしている不信仰な家族にもかわらず、私達の知らないところで神様がどれほど痛み悲しみながらも、あわれみと赦しと守りを注ぎつづけて下さった事でしょう。今みんなでひれ伏して、神様の前に人間の罪深さと神様の愛と恵みに甘んじてきた事に目を覚ます時です。 神様の恵みはいろいろな形で、悲しみの中にも人が不幸とみる中にも、深くひそんでいるのを見逃さないようにしましょう。今回の病いは神様からの警告と試錬として、勝利の主に支えられてがんばります。教会、肉身友人の熱い声援と祈りに励まされている事にも応えて闘います。しかし、もし天国への新しい旅立ちの時が来た時に次の事をお願いします。それぞれの人生大切にして下さい "自分"というおろかな人間の強さが、神様の前にはだかって邪魔をしないよう、福音によってキリストに在って新しい自分となり、弱さの中に働き給う、主の支配の測りしれない豊かさ恵みによって強くされ、天国に結びつく信仰生活を歩めますように。 教会を離れては決して正しい福音は与えられないので、ともかく教会生活をして下さい。私が両親から受け継いだ信仰の遺産をあなたたちに遺産とします。しっかり受けとめ大きく豊かにその無限の恵みを悟って下さい。・・・1990年 幸せな春」 不信仰な私は、母の死を詩編119編にあるように「苦しみに遭ったのは私には良いことでした」とはとても言えません。言えないけれど、母の死をただの虚しい出来事にしたくないので「意味があったのだ」と思いたいのです。そして、父と母と姉と私の家族にとって、その一年は確かに、最も家族の絆を感じた「幸せな一年」でした。
《祈り》主よ、あなたは母マリアの愛を、どのように受け止めていたのですか?イエスさまの愛は、母マリアの愛によって育まれたと思うとき、産みの苦しみと、育ての悩みを担う「母」という存在は偉大であると、ただ感謝するほかありません。
牧師 和田一郎
ご感想は下まで(スマホ・パソコンの方向けです) forms.gle/EkE9N8gDaJQ7ee2L9
発行者名 高座教会 www.koza-church.jp/
「結婚以来一番幸せな年です」と母はいった。 今年の「母の日」は5月11日の日曜日です。35年前の母の日、私が闘病中の母の入院先にカーネーションを贈ったら心から喜んでくれた。その思い出があったので、牧師になる前は「母の日」の日曜に墓参りをするようにしていました。天に召される一年前、入院を前にして「幸せな春」と書き残した母の手記があります。 「今年は家族のきずなの尊さをありがたくしっかり知らされて、結婚以来一番幸せな年です。また今迄にない大きな試練の与えられた年でもあります。神様をないがしろにしている不信仰な家族にもかわらず、私達の知らないところで神様がどれほど痛み悲しみながらも、あわれみと赦しと守りを注ぎつづけて下さった事でしょう。今みんなでひれ伏して、神様の前に人間の罪深さと神様の愛と恵みに甘んじてきた事に目を覚ます時です。 神様の恵みはいろいろな形で、悲しみの中にも人が不幸とみる中にも、深くひそんでいるのを見逃さないようにしましょう。今回の病いは神様からの警告と試錬として、勝利の主に支えられてがんばります。教会、肉身友人の熱い声援と祈りに励まされている事にも応えて闘います。しかし、もし天国への新しい旅立ちの時が来た時に次の事をお願いします。それぞれの人生大切にして下さい "自分"というおろかな人間の強さが、神様の前にはだかって邪魔をしないよう、福音によってキリストに在って新しい自分となり、弱さの中に働き給う、主の支配の測りしれない豊かさ恵みによって強くされ、天国に結びつく信仰生活を歩めますように。 教会を離れては決して正しい福音は与えられないので、ともかく教会生活をして下さい。私が両親から受け継いだ信仰の遺産をあなたたちに遺産とします。しっかり受けとめ大きく豊かにその無限の恵みを悟って下さい。・・・1990年 幸せな春」 不信仰な私は、母の死を詩編119編にあるように「苦しみに遭ったのは私には良いことでした」とはとても言えません。言えないけれど、母の死をただの虚しい出来事にしたくないので「意味があったのだ」と思いたいのです。そして、父と母と姉と私の家族にとって、その一年は確かに、最も家族の絆を感じた「幸せな一年」でした。
《祈り》主よ、あなたは母マリアの愛を、どのように受け止めていたのですか?イエスさまの愛は、母マリアの愛によって育まれたと思うとき、産みの苦しみと、育ての悩みを担う「母」という存在は偉大であると、ただ感謝するほかありません。
牧師 和田一郎
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