棘と共に生きる

「私の体に一つの棘(とげ)が与えられました。それは、思い上がらないように、私を打つために、サタンから送られた使いです。この使いについて、離れ去らせてくださるように、私は三度主に願いました。ところが主は、「私の恵みはあなたに十分である。力は弱さの中で完全に現れるのだ」と言われました。だから、キリストの力が私に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」 (コリントの信徒への手紙二12章7-9節)
 パウロが肉体に与えられた棘(とげ)が、どのようなものかは分かりません。目の病気、マラリア、てんかんなどの不治の病だったとの憶測もあります。「このとげを取り除いてください」というパウロの真剣な祈りに対するキリストの答えは「私の恵みはあなたに十分である。力は弱さの中で完全に現れるのだ」というものでした。 この主のみ言葉が「私は、弱いときにこそ強い」(10節)とパウロが語ったことの根拠です。その弱さの中でこそ発揮される「力」とは、人間の力ではありません。それは神さまの力、キリストの力です。私たちが自分の弱さを感じるとき、自分はなんて駄目なんだと弱さを覚える時こそ、神さまの力が働くのです。神の力が働くためには、自分には力がないことを認めて「神さま、あなたの力を現してください」と求めていくことです。パウロは自分の弱さを「棘」と言いましたが、ヘンリ・ナウエンは「傷」と言って次の言葉を記しました。
「わたしには、この傷のことはよくわかっている。もう長い年月、わたしは傷を負ったまま生きてきた。愛情に対する限りない飢え、人々からのけ者にされるのではないかという限りない恐れ・・・この傷が癒えるとは思えない。いつもわたしを苛む。だが、それにはそれなりの理由があるのだろう。この痛みは、わたしの救いへの入り口、栄光への扉、自由への通路かもしれない! この傷は、傷のかたちを借りた恩寵だということを、わたしは知っている」(『最後の日記』ヘンリ・ナウエン)。 ナウエンは傷ついているからこそ、人は神の愛を自覚できると語ります。そこから自分と他者へのいたわりが生まれると。人は傷や棘を抱えながら生きるのですね。
《祈り》主よ、あなたはなぜ私に傷を与えるのでしょうか?棘を与えるのでしょうか? それらは私にとって喜ばしいものではありません。できれば取り除けてもらいたと思います。しかし、それが私に必要なのであれば、あなたの恵みとして受け止めます。
牧師 和田一郎
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