戦争は人間の仕業です
「あなたがたの中の戦いや争いは、どこから来るのか。それは、あなたがたの肢体の中で戦う欲望からではないか。」 (ヤコブの手紙4章1節)
原爆を落とされた長崎と広島には、キリスト教の信仰者がいました。当時、「神様がいるなら、こんなひどいことが起こるはずがない。神様なんかいないではないか」と言って、教会を離れる人たちがいたそうです。一方で、「いや、これは神が与えた試練なのだ」と、自らを納得させようとした人々もいました。 そのため、「被爆したことを声高に語るのは、いけないのではないか」と思った人もいたのです。ところが、1981年にヨハネ・パウロ2世が来日したとき、「戦争は人間の仕業です」と語りました。「それは当たり前だろう」と思うかもしれません。しかし、長崎と広島の信仰者にとって、この言葉は大きな衝撃でした。「ああ、これは神が与えた試練ではなかったのだ。愚かな人間が引き起こしたことなのだ」「それならば、この被害を訴え、戦争は絶対にしてはならないと言ってよいのだ」と、受け止め方が変わったそうです。 「ヤコブの手紙」は、この問題をとても率直に語っています。争いの原因は、どこか遠くにあるのではありません。実は、私たち一人ひとりの内側にあるのだと聖書は語ります。自分の思いを通したい、認められたい、譲りたくない・・・そうした欲望が、知らないうちに人と人とをぶつけてしまうのです。 私たちは、はっきりと心に刻みたいのです。戦争は決してしてはならないものです。 どんな理由があったとしても、人の命を奪い、憎しみを広げ、悲しみを生み出すものだからです。それは、どこか遠くのことではないのです。ですから、私たちは小さな争いを軽く見てはなりません。自分の思いを押し通そうとする心に気づき、それを神の前に委ねていきましょう。
《祈り》愛なる神さま。私たちの心にある争いの種に気づかせてください。自分の欲に支配されずに、平和をつくる者として歩ませてください。
牧師 和田一郎
ご感想は下まで(スマホ・パソコンの方向けです) forms.gle/EkE9N8gDaJQ7ee2L9
発行者名 高座教会 www.koza-church.jp/
原爆を落とされた長崎と広島には、キリスト教の信仰者がいました。当時、「神様がいるなら、こんなひどいことが起こるはずがない。神様なんかいないではないか」と言って、教会を離れる人たちがいたそうです。一方で、「いや、これは神が与えた試練なのだ」と、自らを納得させようとした人々もいました。 そのため、「被爆したことを声高に語るのは、いけないのではないか」と思った人もいたのです。ところが、1981年にヨハネ・パウロ2世が来日したとき、「戦争は人間の仕業です」と語りました。「それは当たり前だろう」と思うかもしれません。しかし、長崎と広島の信仰者にとって、この言葉は大きな衝撃でした。「ああ、これは神が与えた試練ではなかったのだ。愚かな人間が引き起こしたことなのだ」「それならば、この被害を訴え、戦争は絶対にしてはならないと言ってよいのだ」と、受け止め方が変わったそうです。 「ヤコブの手紙」は、この問題をとても率直に語っています。争いの原因は、どこか遠くにあるのではありません。実は、私たち一人ひとりの内側にあるのだと聖書は語ります。自分の思いを通したい、認められたい、譲りたくない・・・そうした欲望が、知らないうちに人と人とをぶつけてしまうのです。 私たちは、はっきりと心に刻みたいのです。戦争は決してしてはならないものです。 どんな理由があったとしても、人の命を奪い、憎しみを広げ、悲しみを生み出すものだからです。それは、どこか遠くのことではないのです。ですから、私たちは小さな争いを軽く見てはなりません。自分の思いを押し通そうとする心に気づき、それを神の前に委ねていきましょう。
《祈り》愛なる神さま。私たちの心にある争いの種に気づかせてください。自分の欲に支配されずに、平和をつくる者として歩ませてください。
牧師 和田一郎
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