道がない
「人間の心は自分の道のことに思いを巡らすが 主がその一歩を確かなものとする。」 (箴言16章9節)
かつて新婚時代で息子が生まれる前ですが、妻と二人で尾瀬の燧ケ岳(ひうちがたけ)という山に登ったことがあります。人で賑わう鳩待峠とは反対側の福島県側の御池から静かな山道を登り、東北最高峰の燧ケ岳の山頂に登りました。山頂から見下ろす尾瀬の湿原と西にそびえる至仏山を眺めて「やったー」と。さあ、下山しよう。今日の宿泊は山小屋では珍しく風呂に入れる “温泉小屋"だ。「さあ降りよう」と、地図に従って降りようとした。 ところが道がない!地図にのっている道がない? なぜだ? 実は何度か来ている尾瀬で、いつも使っていた地図は年数が経っていたのでした。登山道なんて、そんなに変わらないと思っていたのですが、そうじゃなかった。自然は生きている。崩れやすく崩落が激しいので、その登山道は閉鎖されていたのです。妻に「山はまかせとけ!」と言っていた私は、すっかり面目を失い、遠回りの別ルートを延々と歩くことになりました。 しかし、人生もまた、変わり続ける“生きている世界"です。環境も、人との関係も、自分自身の状況も、刻々と変化していきます。その中で思いがけず「道がない」という状況に直面することがあります。 けれども聖書は、私たちの歩みは主なる神さまが、確かなものにしてくださると言われます。神は、私たちを見捨てる方ではなく、時に遠回りをさせながらも、安全な道へと導いてくださるお方です。あの日の登山も、結果的には遠回りとなりました。 しかし、その道を通ったからこそ見えた景色がありました。振り返れば無事に守られ、導かれていたことを知るのです。だからこそ、私たちは自分の思いに固執するのではなく、神に信頼して歩むことが求められています。「主よ、あなたが導いてください」と祈りながら、一歩一歩を踏み出していくとき、たとえ回り道に見える道であっても、それは確かな道へと変えられていくのです。
《祈り》主よ、遠回りに思えても、「神さま、あなたが導いてください」と祈りつつ、今日も確かな道へと導いてくださいますように。
牧師 和田一郎
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発行者名 高座教会 www.koza-church.jp/
かつて新婚時代で息子が生まれる前ですが、妻と二人で尾瀬の燧ケ岳(ひうちがたけ)という山に登ったことがあります。人で賑わう鳩待峠とは反対側の福島県側の御池から静かな山道を登り、東北最高峰の燧ケ岳の山頂に登りました。山頂から見下ろす尾瀬の湿原と西にそびえる至仏山を眺めて「やったー」と。さあ、下山しよう。今日の宿泊は山小屋では珍しく風呂に入れる “温泉小屋"だ。「さあ降りよう」と、地図に従って降りようとした。 ところが道がない!地図にのっている道がない? なぜだ? 実は何度か来ている尾瀬で、いつも使っていた地図は年数が経っていたのでした。登山道なんて、そんなに変わらないと思っていたのですが、そうじゃなかった。自然は生きている。崩れやすく崩落が激しいので、その登山道は閉鎖されていたのです。妻に「山はまかせとけ!」と言っていた私は、すっかり面目を失い、遠回りの別ルートを延々と歩くことになりました。 しかし、人生もまた、変わり続ける“生きている世界"です。環境も、人との関係も、自分自身の状況も、刻々と変化していきます。その中で思いがけず「道がない」という状況に直面することがあります。 けれども聖書は、私たちの歩みは主なる神さまが、確かなものにしてくださると言われます。神は、私たちを見捨てる方ではなく、時に遠回りをさせながらも、安全な道へと導いてくださるお方です。あの日の登山も、結果的には遠回りとなりました。 しかし、その道を通ったからこそ見えた景色がありました。振り返れば無事に守られ、導かれていたことを知るのです。だからこそ、私たちは自分の思いに固執するのではなく、神に信頼して歩むことが求められています。「主よ、あなたが導いてください」と祈りながら、一歩一歩を踏み出していくとき、たとえ回り道に見える道であっても、それは確かな道へと変えられていくのです。
《祈り》主よ、遠回りに思えても、「神さま、あなたが導いてください」と祈りつつ、今日も確かな道へと導いてくださいますように。
牧師 和田一郎
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