間抜けにならない

「ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。『神の国は、見える形では来ない。“ここにある" “あそこにある"と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。』」(新共同訳) (ルカによる福音書17章20-21節)
 近ごろ「“間" が抜けている」という言葉を目にしました。確かにそう感じることがあります。私たちは「時間がない」とよく言いますが、時間という"間" がないのです。でも時間は誰にでも同じように与えられているはずです。仲間との関係もそうです。本気で語り合える「間」が少なくなっているように感じます。さらに空間、居場所の「間」も薄れてきています。心が安らぐ場所が見つからない。手間という「間」も消えつつあります。 お金を払えばすぐに手に入る便利さの中で、手間をかけて何かを生み出す経験が少なくなってきました。そして何より深刻なのは、人間の人と人との「間」です。本来、そこには温もりや信頼があるはずなのに、どこかぎこちなくなっている。こうして私たちの世界から、さまざまな「間」が抜け落ちているのです。 (田中周子『婦人之友』1280号) しかしイエスさまは言われます。「神の国はあなたがたの間(あいだ)にあるのだ」と。これは、「心の中にある」という意味にとどまりません。人と人との「間」、その関係のただ中に、神はおられるという意味です。つまり、失われているように見えるその「間」こそ、神が働かれる場所なのです。誰かと向き合うときの「間」、赦し合おうとする、その「間」に神の国があります。効率が重んじられる時代の中で、私たちは多くの「間」を省いてきました。 しかし、神の国はその省かれたところにこそあります。だからこそ、私たちは、その「間」を空白のままにしてしまうのか、それとも神を迎える場所として取り戻すのかを問われています。 実はそれらの五つの失われた「間」をすべて取り戻す秘訣があります。それが“手間をかけた食事"です(ファーストフードではなく!)。作る手間からはじまると、時間も、仲間も、空間も、人間も食卓を中心に回復していきますよ。神は遠くにおられるのではありません。あなたの日々の生活の「間」に、すでにおられるのです。
《祈り》主よ、私たちは大切な「間」を失いがちです。人と向き合うことを避け、時間を惜しみます。神の国が遠くにあるのではなく、私たちのただ中に来ることを、あらためて覚えさせてください。
牧師 和田一郎
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