満ちている

「私たちは神の作品であって、神が前もって準備してくださった善い行いのために、キリスト・イエスにあって造られたからです。」 (エフェソの信徒への手紙2章10節)
 綺麗な絵で、すこし大人むけの絵本を読みました。その話の主人公はティーカップの「カップさん」です。小さいころはよく失敗していましたが、いまではすっかり一人前になりました。カップさんにとって、温かい紅茶で自分の中を満たし、おばあさんと一緒にゆったりとした午後の時間を過ごすことが、何よりの喜びでした。自分の役割は、紅茶を入れて、誰かに素敵なひとときを味わってもらうこと。その仕事を、カップさんは心から愛していました。 ところがある日、庭でお茶の準備をしていると、突然カラスが飛んできて、カップさんをくわえてそのまま飛び去ってしまいました。気の毒なことに、カップさんがはっと気づいたときには、見知らぬ草むらの中に落とされていたのです。途方に暮れて、温かい紅茶やおばあさんを思い出して、涙がぽろりと落ちました。お茶を入れるという大切な役割を失ってしまい、自分が何者なのか分からなくなってしまったのです。「私ったら、からっぽ!」と、自分らしさを見失っていました。自分が自分でなくなってしまったみたいなまま、時間だけが過ぎていきました。 ある時、カップさんの中に花びらが落ちました。「・・・きれい」。通りすがりの鴨の親子。小鴨たちをカップに入れて子守をしました。「私はティーカップだけど、お茶じゃなくてもにあうかも」。美しい月夜のある晩、猫がカップさんを見て「あら、きれい」カップに溜まった水面に月が映っていました。そうしてカップさんの心は満たされていくのです。 (絵本『満ちている』作/ただあやの) カップさんの気づきは、「自分はこのためだけの存在ではなかった」という発見でした。その物語は、読む人の心をやわらかくほぐし「こうでなければならない」という思い込みからも、そっと自由にしてくれます。神さまは私たちを、一つの役割に閉じ込めるのではなく、豊かな目的をもって造っておられます。
《祈り》主よ、自分の役割を見失い、心がからっぽになったように感じることがあります。立ち尽くしてしまい自分が何者なのか分からない。どうか、その心を満たしてください。あなたが備えてくださっている、豊かな道に気づくことができますように。
牧師 和田一郎
ご感想は下まで(スマホ・パソコンの方向けです) forms.gle/EkE9N8gDaJQ7ee2L9
発行者名 高座教会 www.koza-church.jp/