幻の讃美歌?
「今から後、主にあって死ぬ人は幸いである。」 (ヨハネの黙示録14章13節)
『荒城の月』で知られる滝廉太郎は、1900年、21歳の時に東京・麹町下二番町にあった博愛教会で洗礼を受けました。教会では青年会の副部長を務め、礼拝ではオルガンで讃美歌の伴奏をしていたそうです。彼は16歳で東京音楽学校に入学を許されました。文部省は音楽教科書を作るため「1人3曲提出」という条件で作品を募集しましたが、廉太郎は学生でありながら応募し3曲すべてが入選したのです。その才能は群を抜いていました。 洗礼を受けてクリスチャンとなった翌年、ドイツ・ライプチヒ王立音楽院への留学を果たします。しかし、そのわずか2か月後、肺結核を発病し帰国し。23歳という若さでこの世を去りました。そのため、彼には「讃美歌作曲家」としての歩みはありませんでした。信仰生活が、あまりに短かったのです。多くの人が「もし彼がもっと長く生きていたら、日本人の心に深く響く讃美歌が数多く生まれていたのではないか」と思います。 しかし、興味深いのは、廉太郎が洗礼を受けた年に『荒城の月』を作曲していることです。もちろん、この曲は讃美歌ではありません。しかし、信仰に触れた日本人青年の「祈り」のような響きがあります。後年、ベルギーにあるベネディクト修道院において『荒城の月』にスラヴ語の祈りの詩をつけて「聖歌」として歌われたのです。 私たちは「もっと長く生きていたら」「もっと多くを残せたなら」と考えます。しかし黙示録は、人生の長さではなく、主に結ばれて死ぬ人は幸いであることを語っています。滝廉太郎の人生は、その期待された将来を考えるとあまりに短かった。しかし、彼の音楽は、百年以上を経た今も、人々の心の中で静かに鳴り続けています。それは、「短い人生が残念」という私たちの思いに対して、神が「そうではない」と語ってくださっているかのようなのです。
《祈り》神さま。私たちの幸せは、人生の長さではありません。あなたに与えられた日々を大切に歩み、小さくても誰かの心に希望と慰めを残す者とならせてください。
牧師 和田一郎
ご感想は下まで(スマホ・パソコンの方向けです) forms.gle/EkE9N8gDaJQ7ee2L9
発行者名 高座教会 www.koza-church.jp/
『荒城の月』で知られる滝廉太郎は、1900年、21歳の時に東京・麹町下二番町にあった博愛教会で洗礼を受けました。教会では青年会の副部長を務め、礼拝ではオルガンで讃美歌の伴奏をしていたそうです。彼は16歳で東京音楽学校に入学を許されました。文部省は音楽教科書を作るため「1人3曲提出」という条件で作品を募集しましたが、廉太郎は学生でありながら応募し3曲すべてが入選したのです。その才能は群を抜いていました。 洗礼を受けてクリスチャンとなった翌年、ドイツ・ライプチヒ王立音楽院への留学を果たします。しかし、そのわずか2か月後、肺結核を発病し帰国し。23歳という若さでこの世を去りました。そのため、彼には「讃美歌作曲家」としての歩みはありませんでした。信仰生活が、あまりに短かったのです。多くの人が「もし彼がもっと長く生きていたら、日本人の心に深く響く讃美歌が数多く生まれていたのではないか」と思います。 しかし、興味深いのは、廉太郎が洗礼を受けた年に『荒城の月』を作曲していることです。もちろん、この曲は讃美歌ではありません。しかし、信仰に触れた日本人青年の「祈り」のような響きがあります。後年、ベルギーにあるベネディクト修道院において『荒城の月』にスラヴ語の祈りの詩をつけて「聖歌」として歌われたのです。 私たちは「もっと長く生きていたら」「もっと多くを残せたなら」と考えます。しかし黙示録は、人生の長さではなく、主に結ばれて死ぬ人は幸いであることを語っています。滝廉太郎の人生は、その期待された将来を考えるとあまりに短かった。しかし、彼の音楽は、百年以上を経た今も、人々の心の中で静かに鳴り続けています。それは、「短い人生が残念」という私たちの思いに対して、神が「そうではない」と語ってくださっているかのようなのです。
《祈り》神さま。私たちの幸せは、人生の長さではありません。あなたに与えられた日々を大切に歩み、小さくても誰かの心に希望と慰めを残す者とならせてください。
牧師 和田一郎
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