人生が完成する日
「胎児の私をあなたの目は見ていた。すべてはあなたの書に記されている 形づくられた日々の まだその一日も始まらないうちから。」 (詩編139編16節)
イギリスの作家、サマセット・モームは、六十四歳の時、こんな言葉を残しました。 「私はいつも未来に向かって生きてきたので、未来が短くなったいまも、その習慣から抜け出せないでいます。」人は年を重ねると「もう先は短い」と考えがちですが、モームは、最後まで「これから」を見つめて生きていました。そして九十一歳で人生を終える時、「私の思い描いていた人生模様が完成する日だ」と表現しました。さらに九十歳の誕生日には、「ときどき、この人生をくり返したいか?と質問されます。全体として見ると、結構よい一生でした。もしかすると、大部分の人よりよい一生だったかも。でも、もう一度繰り返しても無意味です。それは前に読んだ推理小説を再読するように退屈です」 自分の人生を、良かったと振り返ることができる。それは、豊かで、満たされた歩みだったのでしょう。 詩編139編は、私たちの人生が偶然ではなく、神さまの深いまなざしの中にあることを語っています。まだ何も成し遂げていない胎児の時から、神さまは私たちをご覧になり、その歩みを大切に覚えていてくださる。人生の一日一日には意味があり、喜びの日も、悲しみの日も、神さまの御手の中に置かれています。だから私たちは、人生の終わりを恐れだけで見るのではなく、「神さまが最後まで導いてくださった人生が完成する時」として受け止めることができるのです。
《祈り》恵みの神よ、私は年を重ね、先の短さを覚える時もあります。しかし、未来を恐れるのではなく、最後まで希望を持って歩むことができますように。人生の終わりの日は、すべてが失われる時ではなく、あなたによって完成へと導かれる時として、平安のうちに迎えることができますように。
牧師 和田一郎
ご感想は下まで(スマホ・パソコンの方向けです) forms.gle/EkE9N8gDaJQ7ee2L9
発行者名 高座教会 www.koza-church.jp/
イギリスの作家、サマセット・モームは、六十四歳の時、こんな言葉を残しました。 「私はいつも未来に向かって生きてきたので、未来が短くなったいまも、その習慣から抜け出せないでいます。」人は年を重ねると「もう先は短い」と考えがちですが、モームは、最後まで「これから」を見つめて生きていました。そして九十一歳で人生を終える時、「私の思い描いていた人生模様が完成する日だ」と表現しました。さらに九十歳の誕生日には、「ときどき、この人生をくり返したいか?と質問されます。全体として見ると、結構よい一生でした。もしかすると、大部分の人よりよい一生だったかも。でも、もう一度繰り返しても無意味です。それは前に読んだ推理小説を再読するように退屈です」 自分の人生を、良かったと振り返ることができる。それは、豊かで、満たされた歩みだったのでしょう。 詩編139編は、私たちの人生が偶然ではなく、神さまの深いまなざしの中にあることを語っています。まだ何も成し遂げていない胎児の時から、神さまは私たちをご覧になり、その歩みを大切に覚えていてくださる。人生の一日一日には意味があり、喜びの日も、悲しみの日も、神さまの御手の中に置かれています。だから私たちは、人生の終わりを恐れだけで見るのではなく、「神さまが最後まで導いてくださった人生が完成する時」として受け止めることができるのです。
《祈り》恵みの神よ、私は年を重ね、先の短さを覚える時もあります。しかし、未来を恐れるのではなく、最後まで希望を持って歩むことができますように。人生の終わりの日は、すべてが失われる時ではなく、あなたによって完成へと導かれる時として、平安のうちに迎えることができますように。
牧師 和田一郎
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