神がご覧になるもの
「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。どの民族の人であっても、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです。」 (使徒言行録10章34-35節)
聖書を読み進めていると、「あれ?矛盾しているな」と思うことがあります。エズラ記では、異邦人と結婚したユダヤ人の家族を強制的に別れさせるという、大変厳しい処置が記されています。一方、キリストの系図には、異邦人の女性であるルツや、ラハブが名を連ねており、神の祝福が異邦人にも及んでいくことが記されています。片方では異邦人との関係が禁じられ、もう一方では異邦人の女性が祝福されている。私たち信仰者は、外国人とどのように付き合えばよいのか?この二つは矛盾しているのでしょうか。 「異邦人」について、聖書が問題としているのは「民族」ではなく「信仰」です。エズラの時代、イスラエルはバビロン捕囚から帰還したばかりでした。王国はなく、神殿もようやく再建されたばかりです。このまま偶像礼拝が入り込めば、神の民そのものが消えてしまうという危機にありました。エズラが守ろうとしたのは、民族の血ではなく、神との契約に生きる信仰だったのです。 一方、ルツもラハブも異邦人でした。しかし彼女たちはイスラエルの神を信じ、その民の一員となりました。ルツは姑ナオミに「あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神です」と告白しました。その信仰が神に受け入れられたのです。 私たちは、人を外見や経歴、肩書きで判断しがちです。しかし神は、人の心をご覧になります。教会もまた、その神のまなざしを受け継ぐ共同体でありたいものです。誰でも神を求める人を歓迎し、共に神の家族として歩む。それが、ルツ記からエズラ記、そして新約聖書へと流れる、神の大きな救いの物語なのです。
《祈り》天の父なる神様。あなたは人を分け隔てることなく、信仰によって求める者を受け入れてくださいます。私たちもまた、人を外見や違いで判断するのではなく、神の眼差しをもって人を愛することができますように。
牧師 和田一郎
ご感想は下まで(スマホ・パソコンの方向けです) forms.gle/EkE9N8gDaJQ7ee2L9
発行者名 高座教会 www.koza-church.jp/
聖書を読み進めていると、「あれ?矛盾しているな」と思うことがあります。エズラ記では、異邦人と結婚したユダヤ人の家族を強制的に別れさせるという、大変厳しい処置が記されています。一方、キリストの系図には、異邦人の女性であるルツや、ラハブが名を連ねており、神の祝福が異邦人にも及んでいくことが記されています。片方では異邦人との関係が禁じられ、もう一方では異邦人の女性が祝福されている。私たち信仰者は、外国人とどのように付き合えばよいのか?この二つは矛盾しているのでしょうか。 「異邦人」について、聖書が問題としているのは「民族」ではなく「信仰」です。エズラの時代、イスラエルはバビロン捕囚から帰還したばかりでした。王国はなく、神殿もようやく再建されたばかりです。このまま偶像礼拝が入り込めば、神の民そのものが消えてしまうという危機にありました。エズラが守ろうとしたのは、民族の血ではなく、神との契約に生きる信仰だったのです。 一方、ルツもラハブも異邦人でした。しかし彼女たちはイスラエルの神を信じ、その民の一員となりました。ルツは姑ナオミに「あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神です」と告白しました。その信仰が神に受け入れられたのです。 私たちは、人を外見や経歴、肩書きで判断しがちです。しかし神は、人の心をご覧になります。教会もまた、その神のまなざしを受け継ぐ共同体でありたいものです。誰でも神を求める人を歓迎し、共に神の家族として歩む。それが、ルツ記からエズラ記、そして新約聖書へと流れる、神の大きな救いの物語なのです。
《祈り》天の父なる神様。あなたは人を分け隔てることなく、信仰によって求める者を受け入れてくださいます。私たちもまた、人を外見や違いで判断するのではなく、神の眼差しをもって人を愛することができますように。
牧師 和田一郎
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