二つの顔と、二性一人格

「キリストは 神の形でありながら 神と等しくあることに固執しようとは思わず かえって自分を無にして 僕の形をとり 人間と同じ者になられました。」 (フィリピの信徒への手紙2章6-7節)
 夏休みのある日、家族で映画『スパイダーマン:ブランド・ニュー・デイ』を観ました。スパイダーマンは、ニューヨーク市民にとって「親愛なる隣人」です。ひったくりを捕まえ、困っている人を助け、時には超能力を持つ敵と戦って、人々の暮らしを守ります。しかし、マスクを脱げば、彼はピーター・パーカーという一人の青年です。 ピーターには、かつて親友や愛する人がいました。しかし、その人々は彼の戦いに巻き込まれ、傷ついてきました。もう大切な人を危険にさらしたくない。そこで彼は、全人類から自身ピーター・パーカーの記憶を消し、本当の意味で「この世界に一人きり」になって戦う道を選びます。街の人々に愛されるスパイダーマンと、誰にも知られていない孤独なピーター。彼は二つの極端な顔を生きています。 イエス・キリストのご性質を「二性一人格」と呼びます。ただし、キリストはスパイダーマンのように、二つの役割を使い分けているのでも、神である時と人間である時とを行き来する方でもありません。キリストは、まことの神であると同時に、まことの人であり、二つの本性が混ざることも、分かれることもなく、一人のキリストのうちに完全に結ばれています。 神の御子は、人間の苦しみを遠くから眺めるのではなく、肉体を持ち、疲れ、空腹を覚え、涙を流し、見捨てられる悲しみを味わわれました。まことの人となられたからこそ、私たちの痛みを深く知ってくださいます。そして、まことの神であるからこそ、罪と死の力を打ち破り、私たちを救うことがおできになります。そのために、人となって十字架の上で「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」と叫ばれるほどの孤独を引き受けて、それでも私たちを、お忘れになりませんでした。 映画の終わりに、戦いを終えたピーターは、愛するおばさんの墓前で語ります。「もう一人でやらないと決めたと知ったら、きっと喜んでくれるよね」と。彼は、人は独りでは生きていけない、一人で背負うことが強さなのではないと気づきました。キリストもまた、教会という神の家族に結び合わせ「互いに重荷を担いなさい」と招いてくださいます。
《祈り》まことの神であり、まことの人であるイエスさま。私たちが一人で物事を抱えず、人の助けを受け、互いの重荷を担い、支え合って歩む道を選び取ることができますように。それが、あなたが開いてくださった新しい生き方であると信じます。アーメン
牧師 和田一郎
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