神の業が現れるため

「イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。弟子たちがイエスに尋ねた。『先生、この人が生まれつき目が見えないのは、誰が罪を犯したからですか。本人ですか。それとも両親ですか。』イエスはお答えになった。『本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。』」 (ヨハネによる福音書9章1−3節)
 「我が心のジョージア」など、数々の名曲を残したレイ・チャールズは、幼い頃に視力を失いました。若い頃には差別を受け、演奏の報酬として1ドル札を渡されながら、「これは5ドル札だ」と騙されそうになったこともあったそうです。それ以来、レイは「僕への支払いはすべて1ドル札にしてほしい」と求めました。1ドル札なら自分で確かめながら数えられるからです。しかし、仲間たちは彼を「ミスター・1ドル札」と呼び、支払う側には両替の手間がかかるため、何度も揉め事が起こったといいます。社会は、障がいや病気、貧しさや失敗を、その人自身の問題に押し付けようとします。「問題の原因はあなた自身だ」「努力が足りない」とさらに重荷を負わせてしまう心が世の中にはあります。 イエスさまの弟子たちは、生まれつき目の見えない人を見て「誰が罪を犯したからですか」と尋ねました。当時は、障がいや病気を本人や家族の罪と結びつける考えがあったからです。しかしイエスさまは、その偏見を退け「神の業がこの人に現れるためである」と言われました。これは、神がご自分の業を現すために人を苦しめた、という意味ではありません。原因ではなく、今ここから神が何をなさるのかを見なさい、という招きです。苦難はあります。苦難のない人生はありません。しかし、レイが、目が見えないという苦難に支配されず、素晴らしい音楽を生み出したように「ここから、どのような神の業が現れるのだろうか」という問いが未来の可能性を広げていくのです。
《祈り》神様、私たちは人の弱さや欠けに目を向け、その原因を探して、誰かを責めてしまうことがあります。どうか、その人の痛みと尊厳を見つめられる者にしてください。過去にとらわれず、あなたが開いてくださる未来を見つめて歩ませてください。
牧師 和田一郎
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