人にはそれぞれ限界がある

「誰がそのようなことに同意するだろうか。戦いに出て行った者の取り分も、荷物のそばにとどまっていた者の取り分も、同じでなければならない。同じように分け合わなければならない。」 (サムエル記上30章24節)
 ダビデは六百人を連れて、連れ去られた家族を取り戻すために出発しました。しかし、ベソル川に着いたとき、二百人は疲れ果て、川を渡ることができませんでした。怠けていたのではありません。昼夜を徹する強行軍で「疲れ果てていた」のです。進みたくても、進めなかったのです。 二百人を残し、敵陣へと向かった四百人は、戦いに勝利して帰ってきました。すると彼らは、戦いに加わらなかった二百人に戦利品を分ける必要はないと主張しました。一見もっともな意見です。それが「平等だ」と主張することもできるでしょう。しかしダビデは、前線で戦った者も、荷物のそばにとどまった者も、同じ取り分を受けるべきだと定めました。勝利も戦利品も、人の力によって得たものではなく、神さまが与えてくださった恵みだったからです。 人には、それぞれ限界があります。同じ苦しみを経験しても、同じ速さで立ち直れるわけではありません。教会という共同体の群れにも、時代のスピードに合わせて前に進める人がいる一方で、病気や高齢、家庭の事情によって立ち止まっている人もいます。 その人に必要なのは、「もっと頑張りなさい」という言葉ではなく、「ここで休んでいてください。あなたも大切な仲間です」という言葉でしょう。教会では、働けるかどうかによって、その人の価値が決まるのではありません。立ち止まっている人も、同じ恵みにあずかる、かけがえのない「神の家族」なのです。そして、その「神の家族」が世界に増え広がったとき、分断のない、格差のない、神の平和が満ちるのです。
《祈り》神様、疲れて立ち止まっている人を、弱い者、役に立たない者として見てしまう私たちをお赦しください。前に進む人も、今は休んでいる人も、あなたに愛された大切な神の家族です。互いの限界を受け止め、「ここにいてよい」と言い合える者としてください。疲れた人を支え、あなたからいただいた恵みを、分かち合うことができますように。
牧師 和田一郎
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