御言葉を自分のこととして聞く

「『また、ほかの種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、あるものは三十倍、あるものは六十倍、あるものは百倍にもなった。』そして、『聞く耳のある者は聞きなさい』と言われた。」
(マルコ4:8−9)

 ある時イエスさまは《4つの種のたとえ>を御語りになりました。蒔かれる御言葉の種はみな同じです。1つ1つの種には命が宿っています。では、どこにちがいがあるのでしょう?それを受けとめる《私の心の姿勢》という「土壌」のちがいがありました。
 道端、石だらけの地、茨の中。そこにいくら種が蒔かれても実を結ぶまでに成長しません。言い換えれば、御言葉を自分のこととして聞く姿勢がない時、聖書の知識は増えますが、あなたの生活の中には何の変化も起こらないでしょう。
 では、どうしたらよいでしょうか? 自分に語られたこととして聞くことです。「この御言葉、亭主にぴったりだわ」と思って聞くことはないでしょうか? 「息子に聞かせてやりたい」と感じることはないでしょうか?
亭主や息子に聞かせる前に、まずはあなた自身に語られた御言葉として聞くことが大切です。

 聖書に登場する信仰の先輩たちの誰もが、常に自分のこととして御言葉を聞く習慣を持っていました。それが基本です。その基本に立ち返る必要があります。
 そのようにして御言葉を聞く時、時に罪が示されることがあります。また十字架の意味がよく分かり、赦しの実感が与えられる経験をするでしょう。熱心にきよめを求め、神さまの愛に応え、御言葉に従いたいという思いが起こされていくでしょう。
あるいは御言葉が示されても、従うことの出来ない自分と直面し、そのことのために悲しみ、悔い改めに導かれていくこともあるかもしれません。
 こうしたことが全て、御言葉をあなた自身にあてはめて聞く時に起こることなのです。ぜひ、試してみてくださいね。

 いってらっしゃい。

 牧師 松本雅弘

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