神のものは神に
「さて、人々は、イエスの言葉じりをとらえて陥れようとして、ファリサイ派やヘロデ派の人を数人イエスのところに遣わした。」(マルコ12:13)
受難週の火曜日の出来事です。イエスさまを陥れるためにファリサイ派やヘロデ派の人がやってきました。普段はいがみ合い、ケンカばかりしている者たちが、イエスさまを陥れるという目的で利害が一致していた訳です。
当時のユダヤの頭脳が考えに考えた末に出来上がった難しい質問を持ってイエスさまのところにやってきました。当時のユダヤの頭脳が寄り集まって、「イエス」という一人の男を殺そうとして知恵をしぼりました。
でもイエスさまは、はるかに勝る神の子としての知恵をもって、逆に彼らの罪を指摘したのです。
確かに、ファリサイ派やヘロデ派の人々はイエスさまを十字架につけようと願いました。でも受難週のある時点まで、イエスさまは一つ一つの巧みな罠を、いとも鮮やかにくぐり抜けていかれるのです。
ところが弟子たちと過ごした最後の晩餐、そしてゲッセマネの祈りの中で、今度は、イエスさまの方から、十字架の道を選び取っていかれる。つまり、十字架は、結果として起こった出来事ではなく、神の御旨として計画されたことでした。
それは、ちょうど、ローマ皇帝の肖像が刻まれていたコインをカイザルに返せ、と言うように、「神のかたち」に造られ、神の刻印が刻まれている「神のもの」であるあなたを、本当の意味で神様のもの(所有)とするために、イエスさまの十字架がありました。
あなたは、イエスさまの十字架という代価を支払って買い取られ、神の子とされたのです。この受難週、もう一度、イエスさまの尊い犠牲を覚え、その恵みに感謝し、応えるようにして、今日の一日過ごしていきたいと思います。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘