あなたの「弱さ」を理解されるイエスさま
「この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。
だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。」(ヘブライ4:15−16)
ある日、イエスさまは弟子たちと舟に乗り込み、「湖の向こう岸に渡ろう」と言って、舟を出発させました。途中、イエスさまは舟の上で眠ってしまわれたのです。
確かにイエスさまはいつも群衆に囲まれて生活していました。弟子たちを訓練し、神の国の福音を説きあかされました。
群衆を相手に丁寧に教え、病気を癒し悩みに応えて生きる毎日を送っておられました。人々の必要に応えることによって、彼らが変えられて、新しくされていくのを目の当たりにすることは大きな喜びだったことでしょう。
でも好意的な人たちばかりではありませんでした。イエスさまの言葉や行為に陰日向で非難する人々も大勢いました。日々の激務に加え、そうした人々の存在は主をどれだけ苦しめ疲れさせたかと思います。
このような精神的肉体的疲れを癒す場が、イエスさまの場合、少なかったのでしょう。ですから舟の上で休まれたのです。
舟にはこの湖で育った元漁師が何人かいましたから、彼らに任せておられたのだと思います。ですから、なおさらぐっすりと休むことができたのでしょう。
福音書には100%神さまでありながら100%人間として、私たちと同じように精神的肉体的弱さをもって生きた人の子イエスさまの姿がよく示されていると思います。
疲れを覚え死んだように熟睡されるイエスさまです。そこに見る「イエスさまの弱さ」は、私たちの信頼を裏切るどころか、かえって私たちに親近感を与えます。
イエスさまはあなたの弱さを理解されるお方です。このことを忘れないでくださいね。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘