聴く祈り
「どうぞお話しください。僕は聞いております。」(サムエル上3:10)
聖書を読むことと祈りを捧げることは、ちょうど呼吸をするようなものです。
キリスト教の伝統には、その両者を「祈り」という行為でくくって考える考え方があります。
例えば、最近、プロテスタント教会の中でも行われるようになりました「レクティオ・ディヴィナ」という聖書の読み方があります。
これは古くは紀元300年頃、初代教父たちによって説かれたものだそうです。
そのころはカトリックとプロテスタントがわかれる以前のことですから、私たち共通の遺産でもあるはずです。
この聖書の読み方には4つあり、Lectio(読む)、Meditatio(黙想する)、Oratio(祈る)、そしてContemplatio(観想する)というステップを踏みながら聖書を読み、祈り、主と交わる方法です。
こうした伝統を受け継いだ流れの中にあるカトリックの修道会では「聖書で祈る」というような仕方で聖書を読み、祈る習慣があるのです。
最初「聖書で祈る」という言葉を見た時に、「聖書を読む」なら分かるが「聖書で祈る」というのはどういうことだろと思いました。
でも、そのことに関する書物を読んで、教えられたのですが、信仰の先輩たちは詩編を読みながら、その御言葉に祈りをのせて主と交わっていたのです。
つまり「聴く祈り」という実践がそこにはあります。
私たちも経験することですが、自分の中に言いたいことがあると人の話を聴けないことがありますね。
小グループの分かち合いの中でも、ともすると聞いている振りをして自分の番になった時に何を話そうかを考えたことはありませんか?
聴くということは相手の話に集中すること。ですから聴く祈りとは神さまの語り掛けに集中することです。
今日、あなたが祈る時、神さまの語り掛けに思いを集中してみてください。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘