「主がしてくださること」と「私がすること」
「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。
・・・これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。」(ヨハネ15:5、11)
2021年はコロナ禍の中での幕開けとなりました。皆さんの中には、今日から仕事を始められる方も多いのではないでしょうか。
暮れからコロナ感染症の再拡大が起こり、変異種のウイルスも見つかったということで、そうしたことを考えるにつけ、何か重たい気分にさせられてしまいます。
確かに昨年も大変な年でしたね。振り返ると様々な思いが湧き上がってきます。喜びもたくさんありましたが、大変なことの方が多かったかもしれません。信仰生活においても課題を示された一年だったかもしれません。
ところで、新年を迎えると、私はよくペトロのことを思い出します。イエスさまの予告どおり彼は、十字架に向かうイエスさまを捨てて逃げてしまいました。
でもイエスさまはそうしたペトロを見捨てることをなさらず、最後まで関わりを持たれ、昇天後は聖霊の働きに彼を任せ、ご自身に似たペトロへと育てあげられたのです。
新しい一年、愛の主はあなたとどのように関わってくださるのでしょうか。期待していきましょう。
主は、あなたが必ず実を結ぶようになると約束され、そのためにぶどうの木であるキリストにつながるようにと勧めています。そうしたら実を結び、喜びにあふれると言われるのです。
あなたがすることは「つながること」です。主がしてくださることは「実を結ばせる」ことです。この一年、「つながること」に集中しませんか。そのためにも「日々のみことば」が用いられることを祈ります。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘