べらぼう
「人々は皆驚いて、論じ合った。『これは一体何事だ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聞く。』」 (マルコによる福音書1章27節)
「べらぼう」とは、本来は常識外れの人をののしる言葉でした。しかし、NHK大河ドラマ『べらぼう』のあるシーンで、名コンビを組んでいた絵師:歌麿が、版元の主人公 蔦重(つたじゅう)に言い放ちます。 「世の中、好かれたくって、役に立ちたくて、てめえを投げ出す奴がいるんだよ。いい加減に分かれよ!このべらぼうがっ!」という言葉には、常識外れともいえる抜群の商才をもつ蔦重に対する、畏敬、愛憎、友情が混ざり合っていました。江戸っ子にとって「べらぼう」とは、桁外れで度を越えた存在をさす誉め言葉としても使われていたようです。 悪霊に対して「黙れ、この人から出て行け」と会堂に響いたイエスの言葉は、人々の常識を一瞬で吹き飛ばしました。律法学者のように理屈ではなく、その言葉には 魂を動かす力がありました。人々は口々に「これは一体何事だ」と叫び、驚愕しどよめきました。 イエスさまの言動は、人々の目にはまさに「べらぼう」だったのです。言葉だけで悪霊が退く・・・そんなことは誰も見たことがない。律法学者たちが恐れたのは、イエスさまが既存の枠組みを超え、自分たちの地位を脅かす存在に映ったからです。 私たちは、神さまの力を過小評価しているのではないでしょうか。祈っていても「こんなことが起こるはずがない」という常識の中にいないでしょうか。神は人智を超えた “べらぼう" な恵みを注がれるお方です。その桁外れの恵みに出会うとき、思わず言うのです。「これは一体何事だ。こんな恵みは見たことがない」と。
《祈り》神さま、あなたは、とんでもない罪を抱えた私を価値ある者へとしてくださいます。この頑固で頑なな私を造り変えてくださるのは、あなたの “べらぼう" な愛です。
牧師 和田一郎
ご感想は下まで(スマホ・パソコンの方向けです) forms.gle/EkE9N8gDaJQ7ee2L9
発行者名 高座教会 www.koza-church.jp/
「べらぼう」とは、本来は常識外れの人をののしる言葉でした。しかし、NHK大河ドラマ『べらぼう』のあるシーンで、名コンビを組んでいた絵師:歌麿が、版元の主人公 蔦重(つたじゅう)に言い放ちます。 「世の中、好かれたくって、役に立ちたくて、てめえを投げ出す奴がいるんだよ。いい加減に分かれよ!このべらぼうがっ!」という言葉には、常識外れともいえる抜群の商才をもつ蔦重に対する、畏敬、愛憎、友情が混ざり合っていました。江戸っ子にとって「べらぼう」とは、桁外れで度を越えた存在をさす誉め言葉としても使われていたようです。 悪霊に対して「黙れ、この人から出て行け」と会堂に響いたイエスの言葉は、人々の常識を一瞬で吹き飛ばしました。律法学者のように理屈ではなく、その言葉には 魂を動かす力がありました。人々は口々に「これは一体何事だ」と叫び、驚愕しどよめきました。 イエスさまの言動は、人々の目にはまさに「べらぼう」だったのです。言葉だけで悪霊が退く・・・そんなことは誰も見たことがない。律法学者たちが恐れたのは、イエスさまが既存の枠組みを超え、自分たちの地位を脅かす存在に映ったからです。 私たちは、神さまの力を過小評価しているのではないでしょうか。祈っていても「こんなことが起こるはずがない」という常識の中にいないでしょうか。神は人智を超えた “べらぼう" な恵みを注がれるお方です。その桁外れの恵みに出会うとき、思わず言うのです。「これは一体何事だ。こんな恵みは見たことがない」と。
《祈り》神さま、あなたは、とんでもない罪を抱えた私を価値ある者へとしてくださいます。この頑固で頑なな私を造り変えてくださるのは、あなたの “べらぼう" な愛です。
牧師 和田一郎
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